小倉屋、オグラヤを経て、OGURAYAへ──90年のファミリーヒストリー
皆さま、こんにちは。OGURAYA三代目店主の古川 弘恵です。
当店は1932年、祖父の加藤亀吉が時計の専門店として創業して以来、実に90年間営業を続けてまいりました。
「小倉」の名前は、祖父が間借りして最初に店を構えた地名からとったようです。
その後祖父は生まれ育った那珂市に移り、二代目を継いだ父芳明の時代から、時計に加えて眼鏡や貴金属も扱い営むようになりました。父の時代に店名をカタカナの「オグラヤ」としたのは、時々コグラヤと読み間違えられることが多かったからだそうです。時計修理技能士一級の国家資格を有する父の技術と今でも現役の看板娘である母千代子の気さくな笑顔を強みに、オグラヤは「あなたの街の専門店」をキャッチコピーに、地域の皆さまに信頼して利用していただける存在として、現在まで続けてくることができました。これもひとえに当店を支えてくださった地域の皆様、そして足を運んでくださったお客様のお陰だと感謝しております。
私は三姉妹の長女としてこの地に生まれましたが、男の子がおらず後継ぎがいないといつも父はぼやいておりました。三姉妹とも結婚後は家を離れてしまい、お店は長きに渡り両親二人で営んでおりました。
2021年、父が大病を患い入院がきっかけで私が家業を手伝う機会が増え、店頭ではこれまでの「小倉屋」の存在の有り難さを身をもって感じる日々でした。その後父は退院し、今では元気に仕事は続けておりますが、高齢になる両親にとって体力の限界、昨今の景気の悪化に加え小売店の厳しい現状を考えると、廃業も検討せざるを得ない状況でした。
そんな中でも長年ご利用くださっているお客様、遠路からも訪れてくださったお客様、他で断られてやっとここでお願いできたとわざわざ探してきてくれたお客様など、このお店がなくなったら困るよ、というお声もいただき、祖父の代から続いてきたこの店を閉めることは決してしたくないという想いが強く芽生えてきた次第です。
実は私の息子は海外で目の手術をしたことがあり、私自身も眼鏡に関する知識を得ようと日本に帰国後、眼鏡作製技能士(旧認定眼鏡士)の資格を取得し、しばらくは眼科クリニックで勤務もしていました。
また、同時にイギリスやシンガポールでの滞在経験を生かして、都内の企業やオンライン上でおもてなしやマナーの講座を行う事業を展開していました。
祖父、そして父と母が続けてきた「オグラヤ」に、私の今までの経験を生かすことで、この地で地域の皆さまに少しでも貢献できるような事業を続けていけるのではないか──店の手伝いを続けるうち、覚悟も決まっていったように思います。
2022年、私は三代目店主として父から事業を引き継ぎ、時計修理技能士の資格取得のための研修、メガネのフィッティング技術を磨く研修を受けながら、新たな事業展開の準備に着手しました。今後は眼鏡にも力を注ぐことを決め、シンボルマークは眼鏡をかけた女性をモチーフにしたものに一新し、店名も「OGURA-YA」と表記することにしました。
祖父、そして父と母が築いてきた「街の専門店」「地域の皆さまの交流の場」としてこれからも愛され続ける場を大切に引き継ぎながら、私の得意分野を加味することで、地域の皆さまがいっそう楽しく豊かな気持ちで暮らすことのお手伝いができたら、これほど幸せなことはありません。
もちろん、新生OGURAYAにも父と母はまだまだ可能な限り在店します。どうかこれまで同様にお気軽にお立ちよりいただきまして、変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申しあげます。
OGURAYA 3代目店主 古川 弘恵
古川弘恵 プロフィール